重要文化財・聴竹居の守り人

松隈章さんと「聴竹居倶楽部」のみなさん

国の重要文化財に指定された聴竹居は
究極の「暮らす家」

 聴竹居―「ちょうちくきょ」と読みます。JR山崎駅のほど近く、アサヒビール大山崎山荘美術館へ向かう坂道を左に入り、木々の緑がトンネルをつくる坂道を少し上ると「聴竹居」と書かれた小さな看板が現れます。そこから階段を上がっていくと、緑の木立の中にひっそり建つ平屋。しかし、印象的な大きな窓にまず目を奪われ、とたんに建物が持つ何か特別な空気感に、心が浮き立つような気分になりました。
 聴竹居は、昭和3年(1928年)に、建築家であり京都帝国大学教授であった藤井厚二が自邸として建築した木造平屋建住宅です。
日本の気候風土に適した住宅を追求するために、何軒もの「実験住宅」を建てており、その5番目、最終型にあたります。つまり、ここは、藤井厚二建築の集大成であり、実際に10年に渡り彼が家族と共に暮らした家です。その機能的でモダンな建築は近代の名建築だと言われており、今年7月には、国の重要文化財指定を受け、一気にその注目度が増しています。
 床下に設けられた導気口から天王山の清涼な空気を取り込み、その空気を屋根裏に逃がし、屋根に設けられた通風窓から外へと排出されます。いわば天然のクーラー。また、大きな窓には深い庇(ひさし)が付けられ、夏の強い日差しを遮り涼しさをもたらします。逆に、冬になれば大きな窓は目いっぱい太陽の光を取り込み、暖房も不要だったとか。今でこそ、環境に優しいエコロジーな暮らしに関心を持つ人は多いでしょうが、昭和初期のあの時代に…。藤井厚二の建築家としての先見性に驚かされます。さらに、住宅の機能面だけでなく、聴竹居は細部にまでこだわり抜いたそのデザイン性の高さも目をみはるものがあります。窓枠の配置や食事室のアーチ型の間仕切り、さらに椅子やテーブルといった家具も自らデザインし、全てが調和のとれた美しさです。本物が放つ美というのは、9 0 年という年月などいとも容易く飛び越え、新鮮な感動を与えてくれるものです。

地元で守り、支える仕組みづくり

 そんな聴竹居の語り尽くせない魅力を、見学の方々に丁寧に説明してくれるのが「聴竹居倶楽部」のみなさんです。この「聴竹居倶楽部」こそが、聴竹居を守り、活用していく仕組みです。
 そもそもの始まりは、1996年にさかのぼります。
 聴竹居倶楽部の発起人であり、代表理事を務める松隈章さんは、この年、聴竹居と運命の出会いを果たしています。その頃、聴竹居の存在は世間にほとんど知られておらず、竹中工務店の社員であり、設計士でもある松隈さんをしても、著名な建築家であり、同社のOBでもあった藤井厚二の建物が、この地に現存することを知らかったといいます。当時を振り返り、松隈さんは「出会うやすぐに、私は『聴竹居』という建物の不思議な魅力にとりつかれた。その後、さまざまに調べていく中で、建築家・藤井厚二の想いの奥深さにさらに引き込まれることになる」と著書に記しています。そんな運命の出会いからわずか3年、1999年に藤井家につながりのある最後の住人が亡くなり、聴竹居は賃貸に出されることになります。
 近代建築の多くは、家主が変わるというようなタイミングで、それまで家族が重ねてきた建物との記憶が散逸し、そこを守るという意志が途絶えるのかもしれません。もし、1996年の松隈さんとの出会いがなければ、藤井厚二とご家族の意志が受け継がれることなく、朽ち果てるような事態になっていたのではと思わずにはいられません。松隈さんは、賃貸物件となった聴竹居の管理者となり、見学者を受け入れることや文化財としての価値を損なわないための手はずを様々に講じつつ、見守り続けます。しかし、借家人との合意形成の難しさを痛感することも多く、ついに2007年秋に自ら借家人となる決心を固めました。その大きな目的は、建物の維持管理とともに、「一般公開の仕組みを作り、多くの人に建物の魅力を伝えたい」ということ。そのためには、地元のボランティアが不可欠です。
 まず声を掛けたのが荻野和雄さん。2008年冬のある日、居酒屋で聴竹居の魅力を肴に酌み交わしました。意気投合した荻野さんから、地元の「ふるさとガイドの会」や「男の居場所の会」に参加しているボランティアを紹介してもらい、地元の方々を中心とした新たなチームを結成。かくして、2008年5月に松隈さんが借家人となった聴竹居を地元のボランティアが支える仕組み=「聴竹居倶楽部」が誕生しました。
 建物を一般公開し、その見学料で家賃や修繕費を捻出。そして、見学の方にきちんと聴竹居の魅力を伝えたいと「聴竹居倶楽部」のスタッフたちは、聴竹居について学び始めます。「先生には、困らないんですよ。なんせ見学に来られる人が建築関係の人が多いですから、逆に教えてもらえるんです」と、現在事務局長を務める田邊均さん。そして、「自分の地元に、世界中から専門家がわざわざ見学に来るんですよ。地元に暮らす私たちにとってはそんな誇らしいことはな
い。スゴイことです。居ながらにして世界とつながっているという喜びです」と、それはそれは満面の笑顔で話してくれました。「聴竹居倶楽部」の活動は、そのまま聴竹居への、さらには我が町・大山崎町への強い愛着形成の場となっていることが伝わります。

建物は地元に愛されないと残らない

 聴竹居に限らず、昭和初期に建てられた近代建築を保存していくという課題は、けっこう難題なのだろうと思います。時間の経過は老朽化を進めますが、個人の財産である場合も多く、そこに公的な資金を投入ということにはなりづらいでしょう。また、個人の生活の場である場合、生活様式の変化や技術革新に伴い、新しく便利なものへの更新は自然の成り行きとして起こりうること。聴竹居は、藤井厚二が快適に暮らす仕掛けを最大限に詰め込んだ住宅だったからこそ、1999年のその時まで、厚二のご家族はその暮らしぶりを守り、そのままの姿で使い続ける選択ができたのかもしれませんが、それでも、保存し、維持をしていくことには、そこに「意志」が必要です。
 現に、藤井厚二が建築した、広島県福山市の後山山荘(建築当時は鞆別荘)は、ほぼ朽ち果てた状態で売りにだされていました。鞆の浦を一望できる景観に惹かれて購入した施主は、藤井厚二の建築にそれほどの価値を認識しておらず、それを残そうという意志は薄かったといいます。しかし、ここ
でもまた藤井厚二の建築に魅入られた若手建築家・前田圭介さんが、可能な限り藤井厚二の設計意図を尊重しつつ再建築するという決断をします。施主の同意を得、さらに、多くの人が助力し再生させたドラマチックな展開には見えざる力を
感じざるを得ません。この後山山荘の再生プロジェクトにも助力した松隈さんは、「藤井厚二の建築は誰もが魅せられる。だから、みんな進んで汗を流すんですよ」と、見えざる力こそが藤井厚二の魅力だと教えてくれました。
 聴竹居は、昨年12月に竹中工務店の所有と変わり、「聴竹居倶楽部」も一般社団法人化しました。国の重要文化財の指定を受けるためには個人蔵では不利という判断もありましたが、何より、より安定して聴竹居の維持管理や補修を行うためには「一個人では限界がきていた」と松隈さん。新たな体制は、企業と地元のコラボ。企業は後方支援に徹し、今まで通り、地元のスタッフが日々の建物の維持管理と見学者の対応を担います。
 「建物は地元に愛されないと残らない」、松隈さんのこの言葉に、田邊さんは大きくうなずきました。個人の手を離れ、生活の記憶が途絶えた先に、それでもその建物を残そうという意志を支えているのは、著名な建築家や歴史家の論文ではなく、地元の人たちの建物への愛着だということです。
 10年に渡り、聴竹居を守り続け、さらにその文化的価値にスポットライトを当てることにも成功した松隈さんたち「聴竹居倶楽部」のみなさん。聴竹居を訪れた人たちに、その魅力を熱く語る見学スタッフのみなさんは、みなさん誇らしげでした。そんな愛に満ちたトークだからこそ、ここを訪れた人たちもまた、聴竹居に魅了されるのでしょう。(文:松野 敬子)

Information
●京都府乙訓郡大山崎町大山崎谷田31/Pなし(近隣にコインパーキング有)
J R 山崎駅徒歩10分/阪急大山崎駅徒歩10分
●聴竹居見学対応基準(2017年9月現在)
予約受付:見学希望日の3ヶ月前の1日(5月の見学の場合は2月1日)から
見学希望日の2週間前の希望曜日まで。


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【下記のHPにある申し込みフォームから受付】
※室内の写真・ビデオ撮影(携帯利用を含む)は禁止
見学料:大人1000円/子ども(小学4年生以上)500円
見学資格:小学校4年生以上
     (18歳未満は先生or保護者の付き添いが必要)
10:00~15:00(見学時間約50分)*お盆・年末年始は休み
見学日・時間:水曜日・金曜日・日曜日

[HP] http://www.chochikukyo.com
[facebook] https://www.facebook.com/chochikukyo

著者:松隈 章
写真:古川 泰造
『聴竹居 藤井厚二の
木造モダニズム建築 』
(平凡社)1700円+税
 

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