今このひとに会いたい…P2

売れっ子アクセサリー作家 calpia 前田ユリ さん

今をときめく女優に選ばれるブランド「calpia」

 

TBSの人気歌番組。その番組オフィシャルンインスタグラムで、アシスタントを務める女優が「今日のイヤリングはcalpiaさんです!」とイヤリングを揺らします。お名前を出すには許可がいるかも…というほどの、今をトキメク人気の女優が! です。このcalpia(カルピア)が、前田ユリさんの手掛けるアクセサリーブランド。関東を中心に全国に取り扱い店舗は多数、デパートの催事にもひっぱりだこという人気ブランドです。

 そんな人気ブランド作家が実は乙訓の女性だったなんて、ちょっと自慢したくなる快挙じゃないでしょうか。委託販売とオンラインショップという販売スタイルだけに、地元での知名度は「知る人ぞ知る」状態でしたが、この秋、西山天王山駅近くに、アトリエショップ「hitotoiro(ひとといろ)」をオープンさせ、地元回帰を果たしました。

 「ずっと、ここで作品づくりはしていたんですよ」と微笑みながら、「色々なタイミングが噛み合って、とんとん拍子に話が進みました。作品を実際に手にとって、試していただいて、どれ選ぼうかなぁっていう時間は楽しいですよね。お客さまとそういう時間を共有したいと思っていましたし、地元で何かしたいという気持ちもありました。子どもたちとの生活も大事にできますしね」と。

 6歳と3歳のママでもあるユリさん。ショップにお邪魔したこの日も、3歳の息子ちゃんが一緒でした。キラキラ光る、細かいアクセサリーのパーツで遊びはじめた息子ちゃんに、「アー、ダメダメ…」と慌てて止めるユリさん。白を基調とした、洗練された空間なんですが、なぜかこういうも親子の情景もしっくりきます。

 

 

売れっ子作家になるまで

 ユリさんは、長岡京市に生まれ、地元の小・中学校から西乙訓高校へ、そして、西京区の京都市立芸術大学ビジュアルデザイン専攻に進むという、生粋の乙訓っ子です。中学生の時から美大を目指し、超難関の京都市立芸大に進学と順風満帆な学生時代を過ごしたユリさんですが、就職活動が始まった途端に起きたリーマンショック。それまでの好景気が激変し、その年の就職は「氷河期」と言われるものになりました。人生最大の局面でのまさかの苦戦です。アパレルの企画職に就職するも、ほどなく退職し、新たな目標も持てずに混沌の日々…。そんな時期に、趣味で作り始めたかぎ編み雑貨が、知り合いに好評だったことをきっかけに、ハンドメイド作家へ通じる道を進み始めました。2011年の頃でした。

 今や、押しも押されもしないハンドメイド作家となったユリさんですが、ここに至る道が平坦であったわけはないだろうなとも、想像します。

 時代が21世紀に変わったころ、ハンドメイドのお店が出店する「てづくり市」が現れ、じわじわっと広まっていっていたような記憶があります。乙訓地域でいえば、今も熱狂的なファンが集まるJR長岡京駅前バンビオ広場公園での「花子百貨店」。これは確か2005年からスタートしたはず。趣味で作った作品が売れて、それが仕事になったらいいだろうなぁ…と、淡い思いを抱いて売り手も買い手もキラキラと目を輝かせていた、そんな時代だったように思います。そうして、インスタグラムなどS N Sという発信ツールの爆発的な広がりが、そんな女性たちをグイッと後押し。

ハンドメイド作家はある意味、誰もが輝ける時代を象徴する存在でした。

 ただ、実際には、「売れっ子ハンドメイド作家」になれる人はたった数パーセントとも言われており、「稼ぐ」までの道のりが厳しいことも周知の事実です。そんな中、ユリさんは、作家活動を始めて6年目で「普通のOLの年収くらい」となり、7年目には年間の売り上げが2,000万円を達成したといいます。7年なら「とんとん拍子」といってもいいくらいでしょうが、ユリさんは「たくさん失敗して、遠回りしました」と笑います。

 作っても、作っても売れない時期があり、その頃は、SNSのフォロワーが少ないことが原因だと思い込んでいたのだと。フォロワーを増やすためには、誰も見たことがないものや変わったものを作らなければと思い、お金をかけて技術を学びにも行きました。「でも、アクセサリーって、技術的なクオリティーは、ある程度に達するとみんなだいたい同じなんです。頑張って、特別な技術を習得するという世界でもない。じゃあ、何が違うの? なんですよね」。

その答えは? 「ブランドを確立させることだ」とキッパリ。

 委託販売先のお店の雰囲気やお客さまに合わせて作品を作っていると、自分の作品としての統一感が無くなり、結局、作家としての自分の魅力を伝えることが出来ない、ということだと。そして、作品だけではなく、ブランドロゴ、台紙、写真の撮り方、発信の仕方など、ブランドを作り上げるにはマルチな能力が必要だとも気づきます。「勉強しました!」と。

 本を読み、講座に参加し、自己投資をたっぷり。そして、ブランドの土台をしっかり決め、作品そのものや、ブランドを取り巻く要素全てに統一感を出せるようになった時、伸び悩んでいた委託販売の売り上げがグンとあがり、特に営業をするでもないのに、取り扱いのお誘いが舞い込むようになっていたのだと。

 

 

「売れる作家」を育てる側に

 2020年、ユリさんは、地元でのアトリエショップの開業に加え、もう一つ大きなチャレンジを始めています。

 リモートでの「本気のアクセサリー作家対象実践講座」です。売れない時代に受講した講座には、作家人生を変えるほどの学びがあったものも、「お金のムダ」というものもあり、玉石混交ぶりを実感したユリさんは、「5年間も遠回りした私だから、無駄なく、大事なことを伝えられる」という確信をもって講座を開講しました。講座といっても、人数限定で、受講前にしっかりとコミュニケーションをとり、「この人なら」という方への講座。自立できる作家になるために、どう動けばいいのかを実践的に学んでもらいます。

 「ブランドの土台づくりのお手伝いです。『ブランド作りが大切』なんてことは、どこにでも書いてあるんです。でも、それはどうやったらいいの? と迷路に入るんです。ブランドづくりって、一般論を自分に落とし込んで何が足りないか、何を変えればいいかと発展させていける人は一人でも大丈夫ですが、なかなか難しいんですよ。私も、ある先生に、私に向けてのアドバイスをもらえたことで、一気に売上が上がる経験をしました」

 けっして安くはない受講料でした。でも、それだけの内容があるから設定していると、まっすぐ前を向いて語る姿にプロを感じます。実際に、6月からスタートした1期生5名は、販路を拡大させ、売り上げを伸ばすことで、みんなステップアップを果たしているといいます。アトリエショップの開業も、受講生の作品の販売の実体験や実績づくりということを視野に入れての計画です。

 ここから先の目標は? と最後に伺うと、「売れるハンドメイド作家を100人育てること」と即答した後、ちょっと間をおきこう言いました。「目標というか…、私が作るアクセサリーの一つひとつ、アンテナショップ、オンライン講座、どれも『女の人にシアワセをたくさん感じて欲しい』って思いなんです」

 諦めない強さ、自己投資できる勇気、そして「私もあなたも大事」という優しさ、それらがバランスよくとれているからこそのサクセスストーリー。きっと今のこの場所も、彼女にとっては通過点の一つ。5年後、10年後、女性活躍のロールモデルとして、どんな姿を見せてくれるのか、楽しみです。

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(文/松野 敬子)

 

 

<インフォメーション>

ハンドメイド&セレクトショップ 

hitotoiro 

長岡京市調子2-1-17 (P1台)

阪急 西山天王山駅 東口徒歩5分

月・木 10:30~16:00

日   10:30~18:00

(臨時休業、臨時開店あり)

https://calpia-accessory.com/

 

 

 

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